銚子の井


鎌倉駅より名越経由逗子行または緑ヶ丘入口行の京急バスに乗り、 銚子の井 長勝寺(ちょうしょうじ)バス停にて下車し、 そのままバス路線に沿って逗子方面に向かって約50mほど進むと、左側に「美容室」の看板が見えてきます。 美容室の家の前にある「大町五丁目自治会掲示板」の足元に「十井之一銚子井」と書かれた古い石柱があります。

その幅が約60cmほどの小道の奥に、石の蓋を被せた井戸があります。

この井戸は「銚子の井」(ちょうしのい)またの名を「石井の井」(いしいのい)とも呼ばれている、 鎌倉十井(かまくらじゅうせい)の一つであります。

新編鎌倉志によりますと、「長勝寺内に岩を切抜いた井戸あり、鎌倉十井の一なり。」と述べております。 私は新編鎌倉志のこの文を頼りに長勝寺境内を一生懸命に探しましたが、井戸は見つかりませんでした。

その後、新編鎌倉志より150年後に編纂された新編相模国風土記稿を読みますと、 銚子の井に関しまして面白い記述がありました。

「銚子の井は長勝寺の東方にあり、日連の供水(こいみず)と云う、寺伝には日蓮乞水と唱えるいえども、 この井戸は近くにある同名の小井あるを、混じ誤れるならん。 新編鎌倉志には、長勝寺の境内に、岩を穿ちし井あり、石井と号す。鎌倉十井の一と記す。この井の事か。 今は詳らならず。」と書いています。

この事に就いては、五名水の一つ「日蓮の乞水」でも説明しているように、 銚子の井の直ぐ側に日蓮の乞水の井戸があります。今でこそ家が建並び、両方の井戸は離れているように見えますが、 両井の距離は約100m位のものです。 このような事から、当時は家も少なく両方の井戸は相接していたであろうと推測されます。

小道の奥の銚子の井戸は、上に六枚の花弁の形をした蓋が乗せられています。 蓋の直径は110cm、高さ60cmの大変に重そうな形をしています。井戸枠も蓋と同じように外形は六角形をしており、 内側は円筒状の形状をした石製のものです。枠の手前が片口のように突出しています。 この形から昔風の銚子に似ていることからこの名前が付いたと思われます。

松葉ケ谷

名越のこの付近は松葉ケ谷(まつばがやつ)と呼ばれていました。 日蓮上人が布教のために安房国小湊から三浦半島に渡り、松葉ケ谷付近にて草庵を構えました。
松葉ケ谷

この松葉ケ谷には、長勝寺と立正安国論を執筆した安国論寺及び護良親王の遺児が父の菩提を弔うために建立したと言われる苔寺の妙法寺と日 蓮に関係のある寺があります。

長勝寺

長勝寺は、新編相模国風土記稿によりますと「長勝寺は松葉ケ谷の南方にあり、石井山と号す。 日蓮宗寺伝に当所は日蓮庵室の地なり。その後一寺となし、日朗・日印・日静次第して住す。 (中略)当所は石井長勝が宅地にて、日蓮この辺の小庵に在りし頃、長勝が寄付してここに堂庵を設け、 その後一寺となし、長勝寺と号する。云々」と述べています。

「鎌倉十井案内図」に戻る