甘露の井


駅前の道を鎌倉方面へと進みます。 円覚寺の降魔橋前から東慶寺の門前を通り、暫く進むとJRの踏切手前の右手に小道があり、 その先に浄智寺の山門があります。
浄智寺北鎌倉駅て下車し、 境内への入口に池があり、小さな石橋が架けられています。石橋の左にある池の奥に、 竹の筧より水が流れており、その上に竹で組んだ蓋のある井戸があります。 「鎌倉十井の一 甘露の井」と書かれた苔むした石柱が左に立っています。
この井戸が甘露の井(かんろのい)で鎌倉十橋の一です。

新編鎌倉志によりますと、「甘露の井は開山塔(蔵雲庵と名く。仏源の塔には非ず。 真応禅師の塔なり。)の後に有る清泉を云うなり。門外左の道端に、清水湧き出でる。 或いは是をも甘露の井と云うなり。鎌倉十井の一なり。」と述べております。 この記述によると、「甘露の井」は二ヶ所にあると考えられます。 即ち、境内の開山塔の後ろの井戸と、門の外の左の池の脇にある井戸とが「甘露の井」であると説明しています。
甘露の井
新編相模国風土記稿によると、「甘露の井は方丈の後なる清泉なりとも、又門内に沸出する清水をも云うと云へり、鎌倉十井の一なり。伝 に源頼朝、この井に貫高を寄付せしことありと云う。」と述べています。


「甘露の井」に就いては、新編鎌倉志及び新編相模国風土記稿の何れも「門の側にて涌き出でる清水のこと」と「境内にある清泉のこと」 と二箇所の井戸のことを指しています。
寺の関係者に伺ったところ、「甘露の井」としては、門前の池の傍らにある井戸と、方丈の傍らにある井戸のことではないかとの説明でし た。
然しながら、方丈の後には数箇所の井戸があるので、新編鎌倉志にて指す井戸が何れかは不明です。
寺の案内パンフレットによると「参道入口の石橋のほとりにある甘露の井は鎌倉十橋の一つとして名高い」と述べています。

浄智寺

浄智寺(じょうちじ)の山号は金宝山と云われ、 甘露の井 臨済宗円覚寺派の鎌倉五山の第四位のお寺です。浄智寺の建立は、 浄智寺の寺史によると「開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼の三男宗政(ほうじょうむねまさ)が弘安4年8月9日に29歳で亡くなりました。 政時夫人などが親族とはかり、亡夫政時と幼少の師時(もろとき)を開基として浄智寺を弘安4年建立しました。 開山は兀菴普寧 (ごったんふねい)と大休正念(たいきゅうしょうねん)とし、準開山を南州宏海(なんしゅうこうかい)となっていますが、 実際は南州宏海が寺を開いたと言われています。

現在の建物は、三門・二階に鐘をさげた楼門や新しい仏殿の曇華殿・方丈・客殿などが伽藍を形造っています。
植物の種類も多く、梅・牡丹・シャガ・夏椿等のほか、庭の白雲木が、五月には美しい花を咲かせます。 参道右横の大木タチヒガン(さくら)は、見事な美しさで神奈川県指定百選の一つになっています。 また、仏殿横のコウヤマキは鎌倉第一の巨木で、鐘楼前のビャクシンとともに鎌倉市指定文化財です。

ハイキングコース

浄智寺の山門の左の道は大仏までのハイキングコースとなっています。
浄智寺を出て葛原岡神社のある源氏山公園に出ます。大仏方面の中の道に入り、 銭洗弁天と佐助稲荷の社の上に道を大仏方面へと進みます。此処まで約1時間程の道のりで。 此処から大仏殿から長谷観音方面に抜けられます。 一方国指定遺跡大仏切通を抜けて火の見下のバス停にも通じています。



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