銭洗水


鎌倉駅西口より「市役所通」を西に向かい進むと鎌倉市役所の脇に出ます。 宇賀福神社 トンネル(御成隋道)を通って佐助ケ谷に入りますと左に税務署の建物があり、右に法務局の建物があります。 その先の法務局前信号の交差点を右に曲がり、源氏山方面へ500m程進みますと左に大きくカーブした坂道にかかります。 坂道の途中左側に「銭洗弁天・宇賀福神社」(ぜにあらいべんてん・うがふくじんじゃ)と書いた大きな石柱と石造の鳥居があり、 鳥居の下にトンネルが口をあけています。

このトンネルを抜けますと銭洗弁天(ぜにあらいべんてん)の境内で、 多くの社がある中央に岩を穿った大きな洞窟と本殿があります。この洞窟の中にある銭洗水にてお金を洗うと、 お金が何倍も何十倍も増える福銭になると言われています。
銭洗弁天
洞窟の中には沢山の笊が用意されていて、人々が笊に硬貨とお札を入れ銭洗水にて洗っています。 特に巳の日には大勢の参拝客にて大変な賑わいです。

銭洗水につきましては新編鎌倉志に次のように述べています。「隠里の巌窟の中にあり。福神銭を洗と云う。 鎌倉五水の一也」。
新編相模国風土記稿に次のように述べています。「扇ガ谷村の西方に佐助谷にある大巌窟を云う、 往古夜中に人語の響きあり、聞に盡く吉事のみを語りしと云う、又窟中に銭洗井と云うあり、 福神此水にて銭を洗うと云伝う、鎌倉五名水の一なり。」

銭洗弁天・宇賀福神社 御由緒

銭洗弁財天宇賀福神社の由緒には次のように述べています。「文治元年(1185)巳の年巳の月巳の日に、 一人の老人が頼朝公の夢枕に現れて。「ここから西北に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出してる。 そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っている。この水こそは真の神の霊水なのです。 この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、悪鬼や邪鬼も退散し、 国内はすぐに平穏に治まる。私こそは隠里の主である宇賀神である。」と云うとその姿を消しました。 目を覚ました頼朝公は、心から宇賀神を敬い、夢のお告げの通りに西北の谷に泉を見つけました。 そこに岩窟を掘らせ、宇賀神を祭り、その水を使って神仏の供養を続けると国中は静かになり、 人々は富み栄えるようになり、これがここの起こりだといわれています。その後、正嘉元年(1257)巳の年の仲秋に、 時の執権北条時頼公は、頼朝公の信心を受け継いで、隠里の福神を信仰しました。 その時、時頼公は「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」が全ての人々に福徳が授けられる日だと調べ、 この日に人々が参詣することをすすめたということです。
また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行いを慎めば、 不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁栄、子孫長久を祈りました。 以来七百余年銭洗井は鎌倉五名水の一つとして天下に聞こえ、四季の参拝者は絶える事は在りません。」

水神宮(上社・下社)

トンネルを抜けれと沢山の鳥居があり、その先正面の山裾に本殿と銭洗水の洞窟があります。 参道の右手には社務所と参拝者の休憩場が、社務所の右手の奥には豊富な推量の出る湧水のある上の神宮が祭られています。
参拝者の休憩所の右手には、水量が豊かな滝と池とがあり、池には緋鯉がおよいでおり参拝客の人気者となっております。 池の中央に朱塗りの橋が架けられて、その奥の崖下に下の神宮が祭られています。
水上宮の祭神は水波売神(みずはのめのかみ)で、古来水のゆかりのある処に祭られています。 当社は宇賀福神社神泉の水口(みなくち)の守護神として祭られています。

七福神社

池の右側には七福神社が祭られており、霊泉亭をかいしてトンネル入口の鳥居と隣になっております。
祭神は古来代表的な福神として広く親しまれています、大黒天・恵比寿・毘沙門・弁才天・布袋・福禄寿・老人の七福を祭っております。 神仏混淆(しんぶつこんさい)時代の形を留めておりますが福徳円満商売繁盛のご利益があるとして祭られています。


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