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|  境内案内  | 歴史 |
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[ 寺号 ]     石 井 山    長 勝 寺   (日蓮宗)

[ 所在地 ]
     長勝寺は、JR横須賀線の名越踏切りの南にあります。鎌倉駅始発のバスの逗子方面に乗ると、15分ほど、バス停の長勝寺で降りると道の反対側にあります。

[ 長勝寺の古建築 ]
     山門法華堂を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。
|  山門 |  法華堂 |
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[ 境内案内 ]
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     山門を入ると、参道の先に本堂(帝釈堂)が見えてきます。
     こちらには、帝釈天が祀られていますが、日蓮聖人が、この地で帝釈天の使いである白い猿に助けられたことから、帝釈天の霊場とされています。
     帝釈堂の前には、高村行雲作の日蓮聖人の銅像が立っています。
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     日蓮聖人像の周りに四天王の、持国天、増長天、広目天、毘沙門天(多聞天)が、聖人を護るように立っています。
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(大持国天王像) (大毘沙門天王像)
写真9 写真10
(大広目天王像) (大増長天王像)


     左手の一段高いところに、祖師堂 (法華堂)があります。
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     祖師堂の奥に八角形の本師堂があり、タイ国渡来金色釈迦尊像が祀られています。
立て札には、由来と「昭和60年6月 タイ国 ワサケ寺 大僧正 スリウイスメスイ」とあります。
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     本堂の右手前には、2月11日に行われる、水行を行う場所があります。千葉の法華経寺で百日間の荒行を終えた僧が、こちらで寒中に水を浴びて、修行を仕上げる場所です。
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写真15

     赤木圭一郎の胸像が鐘楼の裏手から墓地に上がる石段の途中にあります。「偲ぶ会」が祖師堂の前にたてたものを 遺族の方が現在のところに移したとのことです。
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     現在は、法華堂が山の際にあり、参道の脇にあるようになりましたが、かつては、山門が法華堂に対するように立ち、法華堂が中心でした。 昭和33年に山門が現在の位置に移動されたとのことで、境内の配置が90度時計回りに変わったことになります。

 

[ 歴史 ]
     お寺は、日蓮聖人 (1222-82) のために、この地の石井長勝が、小庵を建てたのに始まるといわれています。

     日蓮聖人は、建長五年 (1253) 鎌倉に来て布教をし、当時の社会の不安や天災の原因を幕府や他の宗派のせいとして激しく非難しました。文応元年(1260) には『立正安国論』を時の執権北条時頼に提出し、他宗を激しく攻撃していました。

     そのために、弘長元年 (1261) に幕府の手により捕らえられ、伊豆に流されますが、1263年に赦されて鎌倉に戻ります。その時に石井長勝が邸内に小庵を建て、提供したとのことです。これは法華堂と呼ばれましたが、後に本圀寺となりました。

     室町時代の初めの貞和元年(1345) 、本圀寺は日静上人により京都に移されました。日静上人が足利尊氏の叔父であったからとのことです。

     その後、荒地になってしまったお寺を、日隆上人 (1385-1464) が復興し、石井長勝の名前から、石井山 長勝寺としたと伝えられています。 日隆上人は、小湊のひとで、中興開山とされています。

     このお寺にも法難の話が伝わっています。
文応元年(1260)、草庵が襲われます。その直前に三匹の白い猿が現れ、聖人を誘って救ってくれました。 これは、後に松葉ケ谷の法難と呼ばれ、四つの大きな法難の最初のものです。 白い猿は帝釈天の使いとしてあがめられています。

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