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|  境内案内  | 歴史 |
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[ 寺号 ]     東 身 延    本 覚 寺 (日蓮宗)

[ 所在地 ]
     本覚寺はJR 鎌倉駅東口からまっすぐ進み、若宮大路の交差点を渡り、右手にある鎌倉生涯学習センターを過ぎ、隣の鎌倉郵便局の先を左に曲がります。直進すると右手に境内の裏手の入口があります。正面の入口は、境内を右に見ながらさらに進んで、正面に鎌倉婦人子供会館のあるT字路にぶつかったら右折すると右手に入口の楼門が見えます。

[ 本覚寺の古建築 ]
     楼門を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。
|  楼門 |
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[ 境内案内 ]
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     両側に仁王像を配する楼門を過ぎると正目に堂々とした本堂が見えます。本堂は大正八年に完成したもので、七間四方、 正面に唐破風の向拝を付けたものです。中には500人も入れるということで、規模も市内有数で、大正時代のものとして貴重なものです。
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     門のすぐ右手には夷堂があります。建物は1981年(昭和56年)に再建されたものですが、歴史は頼朝の時代にさかのぼります。そして日蓮聖人が滞在し、また開基の日出上人がここで布教をしたという由緒あるところです。(「歴史」参照)
     現在も、恵比寿さまは鎌倉七福神のひとつとして、多くのひとの信仰を集めています。
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     その先に御手洗場の細かい彫り物の施された建物や鐘楼があり、 本堂の向かって右手には祖師分骨堂があります。
     分骨堂は、日朝上人のときに、日蓮聖人の遺骨をここに分骨し、東身延としてわざわざ身延山にお参りしなくても済むようにしました。 写真10 写真11

     本堂の左手には、刀鍜冶で知られる岡崎五郎正宗のものといわれる宝篋印塔形式の墓があります。日蓮聖人が佐渡の配流から戻り、ここの夷堂に滞在していたときに、幼い正宗が父に連れられて訪れました。日蓮聖人にたいそうかわいがられ、「正宗」という名を与えられたという話があり、お墓があるのはその関係だともいわれています。
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     本堂の本尊は釈迦如来で、両脇侍として文殊・普賢の両菩薩像、ほかに日蓮聖人像、日出・日朝上人像などが祀られています。


 

[ 歴史 ]
     本覚寺の開山は、日出上人というかたで、駿河の国三島の出身の学者でしたが後に日蓮宗の僧となりました。
     寺伝によると、日出上人は熱心に布教活動をしましたが、日蓮聖人同様激しい反対に遭い、ついに捕らえられてしまいました。そのときの鎌倉公方は足利持氏(1398-1439)でしたが、その熱意に感心し、日蓮聖人ゆかりの夷堂のあるこの場所を与えたことから永享八年(1436)に建立されたとのことです。
     この地や夷堂と日蓮聖人の関係は百六十年と少々ほどさかのぼります。日蓮聖人が龍口法難のあと、佐渡に配流となりましたが、文永十一年(1274)に許され鎌倉に戻りました。この地にあった夷堂にあって最後の布教活動をし、やがて身延山へ隠棲することになり、最後のゆかりの地となりました。
    
夷堂はさらに頼朝の時代にさかのぼります。幕府の裏鬼門にあたるとして幕府の守り神として建立されました。鎌倉時代より、これより南の一帯は商業地の一つとして大いに栄えました。商売の神様であることから多くの信仰を集めたものと思われます。
     日出上人のあとは、日朝上人が継ぎました。幼いときから神童とよばれた優れたかたとのことです。身延山より日蓮聖人の遺骨をここに分骨し、祖師分骨堂が建てられました。また、自分の名を呼びながらお祈りすれば目の病を治してあげようともいったそうです。いまでも本覚寺は「日朝(にっちょう)さま」の愛称で通っています。

     その後は、小田原の北条氏、徳川家康などの庇護があり栄えたとのことです。

     現在も、正月のえびす祭りなどには大勢の参詣客でにぎわいます。

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