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|  境内案内  | 歴史 |
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[ 寺号 ]    稲 荷 山    浄 妙 寺 (臨済宗)

[ 所在地 ]
     浄明寺はJR 鎌倉駅からは金沢八景や大刀洗方面のバスで20分ほど、浄妙寺バス停で下車、降りた側のすぐ左手に参道があります。100メートルほど進むと山門があります。この参道は春には桜のトンネルとなります。

[ 浄妙寺の古建築 ]
     本堂を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。
|  本堂 | 
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[ 境内案内 ]
     下馬塔を左に見ながら山門をくぐると左手に受付があります。
手前の庭の花をみながら進むと独特の屋根の形をもつ本堂が見えます。
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     本堂には本尊の釈迦如来 (写真下左)、阿弥陀如来、婦人病にご利益のある淡島明神 (写真下右) などが祀られています。
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     本堂の裏手には開山堂があり、中には、退耕行勇像 (写真下右)、藤原鎌足像 (写真2段下左)、三宝荒神立像 (写真2段下右)、伽藍神倚像など多数の寺宝が祀られています。(非公開です。鎌倉シニア通信で取材させていただきました。2003.7)
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     本堂の裏手には墓地があります。その中段に足利貞氏の墓と伝えられる宝篋印塔という形式の墓石が立っています。 明徳三年(1392)の銘がありますので没当時のものではないようです。
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     境内の右手の山中には鎌足稲荷といわれる小さな神社があります。藤原鎌足(614-669)が鹿島神宮に参詣する途上鎌倉に逗留したときの伝説を伝えます。由比の里に泊まって鎌足が見た夢のお告げに従い、鎌槍をこの地に埋めたということです。
     「鎌倉」の地名の由来の一つとして伝えられています。鎌足が鹿島神宮に参詣したとすれば、関東や東北地方の経営に腐心してのことともいわれています。 写真13 写真14

     本堂の左手には喜泉庵は平成三年に復興されたものです。 天正年間(1573-92)の記録によれば、境内には僧が抹茶をいただく茶堂があり、「喜泉」と呼ばれていたのにちなんで命名されたとのことです。枯山水の庭園を楽しみながら、ゆったりとした雰囲気で抹茶をいただけるようになっています。
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     境内の左奥にある「石窯ガーデンテラス」は憩いの場所としてお食事やお茶を楽しむことができます。さらに天然酵母を使用した焼きたてのパンも大変人気があります。    
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[ 歴史 ]
     浄妙寺は、鎌倉五山第五位の臨済宗建長寺派です。
     寺伝によると、鎌倉初期の武将足利義兼(?-1199没)が文治四年(1188)に建立したもので、当初は真言宗で極楽寺といいました。

     足利義兼は、母が頼朝(1147-1199)の母の妹で、終始頼朝の下で活動しました。頼朝の命により政子(1157-1225)の妹と結婚します。あまりにも頼朝に近かったので、幕府草創期の武将が次々に消されてゆくのを見て、1194年に出家し難を逃れたといわれています。
    出家後は足利に隠棲し持仏堂(堀内御堂)で念仏をして過ごしたといわれますが、 そこが足利学校前身になったという説もあります。

     開山は退耕行勇律師(1163-1241)です。相模国酒匂(小田原)の生まれで真言密教を学びました。鶴岡八幡宮寺の供僧になり、1188年に浄妙寺の開山として迎えられました。
     頼朝・政子の篤い信任を受けます。栄西が鎌倉にくると門下に入り臨済禅を学、 栄西の後、寿福寺の二世になり、さらに建仁寺にも住しました。実朝は寿福寺の行勇をしばしばたずねます。

     吉兼の子の義氏(1189-1254)の時、建長寺開山蘭溪道隆の弟子月峯了然 (げっぽうりょうねん) が住職となって禅刹に改め、寺名も浄妙寺と称したとのことです。足利義氏は北条時政(1138-1215)の娘で政子の妹を母にもち、北条泰時(1183-1242)の娘と結婚し、承久の変をはじめ多くの戦いで手柄をたてました。和歌を能したといわれています。

     歴代の住持には約翁徳倹(やくおうとくけん:1245-1320)・高峰顕日(こうほうけんにち:1241-1316)・竺仙梵僊(じくせんぼんせん:1292-1346)・天岸慧広(てんがんえこう:1273-1335)など名僧がなっています。

     中興開基は足利尊氏(1305-58)の父足利貞氏(1273-1331)です。当寺に葬られています。
     室町時代、足利義満による五山の制が確定された頃は七堂伽藍がそろい、塔頭二十三院を数えました。 その後火災などのため昔の姿はなくなりました。

     現在は総門・本堂・客殿・庫裡があります。境内は国指定史跡です。


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